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日本画 伊藤小坡

伊藤小坡

 日本画家の伊藤小坡(いとうしょうは)は1877年(明治10年)に三重県の伊勢市に生まれた女流画家で、美麗な美人画や歴史画を主に描きました。生家が伊勢の猿田彦神社の宮司であったせいか、古典文学や茶の湯に親しみ14歳の頃からは新聞小説の挿絵を模写するなど日本画の世界へ傾倒していきました。最初の師となったのは地元の四条派の画家・磯部百鱗でしたが、21歳で京都へ上り森川曾文や歴史画を得意とする谷口香嶠に師事してから本格的に日本画を学ぶようになりました。伊藤小坡の画壇デビュー作は「制作の前」で、第9回文展(文部省美術展覧会、現・日本美術展覧会=日展)で3等賞を受賞しました。以後毎年のように官展(政府主催の美術展覧会)に出品し精力的に活動していきました。そうしたなか28歳で同門の伊藤鷺城(いとうろじょう)と結婚し、3人の子供を生み育てました。妻として母として幸せな家庭生活のなかで描いた作品には家族や身近な生活のひとコマを描いたものが多く、家庭の主婦らしい観点から描かれた情愛溢れる作品群となっています。
 このころの代表作とも言うべき「虫売」を見ると、川端の柳の木の下に屋台を置いて虫を売る艶やかな女性と、虫かごを姉におねだりしている幼い少年が描かれているのですが、柔らかで穏やかな筆使いで描かれており見る者の心を慰めてくれるようです。こうした作風がやがて一変していったのは1928年(昭和3年)になって竹内栖鳳(東京の横山大観に並ぶ日本画界の西の大御所)の画塾「竹杖会」に参加してからです。この年第9回帝展(帝国美術院展覧会)に出品した「秋草と宮仕へせる女達」は源氏物語に出てくる7人の女性を描き、華麗で優雅な歴史画となっています。これ以降は歴史画と美人画に重きを置いて画作を展開していったのです。1930年(昭和5年)に描かれた「伊賀の局」は後鳥羽上皇に愛された女性を実に美しく描いており、まさに傾国の美女として表現しているようです。伊藤小坡作品は今日では美人画に人気が集中しているようですが、新婚生活と子育てに励んでいた頃の母の目で描いた作品の愛らしさは捨てがたいものがあります。それにしても女流画家の珍しかった時代に91歳で没するまで画家としても成功し、母としても幸せな生活を過ごせた伊藤小坡は大満足の人生であったでしょう。